アジュガ・トルケスタニカは主としてウズベキスタンに自生する天然希少植物であり遠大な歴史がある。アレキサンダー大王(紀元前356年~323年)が中央アジアに来る以前から地元の治療者(healer)にはアジュガがしられていた。アレキサンダー大王はギリシア平定後、アケメネス朝ペルシャ軍を撃破し中央アジアにも足を踏み入れている。(アレキサンダー大王の東征)。パミール高原から北へアラル海に繋がるアムダリア川を西から5回にわたり渡河した。5回目の遠征(紀元前328年~327年)はサマルカンド地域の平野と山間部で行われたが、この時この地方の総督の娘ロクサネと出会い、この絶世の美女を妻とした。ロクサネはアレキサンダー大王にアジュガの秘密(体力の向上、持久力、素早い身体の回復)を明らかにし、以降アレキサンダー大王は兵の為にアジュガを使っている。
時代を下って14~15世紀にかけてサマルカンドの統治者チムールは遊牧民を率いてトルコからモンゴルまでの一帯を征服したが、チムールは全軍にアジュガをお茶と共にとらせ長い軍事作戦によく耐えるのを助けている。1980年のモスクワオリンピックが決まるとソ連政府は全化学者に対してスポーツマンの為にエネルギーや持久力向上効果のある天然物質を発見することを指示し、呼応したウズベキスタンの化学者はイスラム中世の医学全書(Avicenna Manuscript)を開き、チムール時代の資料の中からアジュガを発見し、ウズベキスタン山岳部のスルハンダリア地方の古老と面談し、彼らが現在でもアジュガを使っており、その収穫や使用量、この植物の見分け方などを再確認した。その効果はトルケステロン、エクジステロン等で合成される植物エクジステロイドであることが発見され、中央アジアの古代の名前をとってTukesteroneと名付けた。アジュガは大変すぐれた効果を発揮してソビエトのスポーツ選手が採る秘密の材料となり、アジュガがソ連以外に知られるようになったのはソ連の崩壊(1991年)以降となる。